2023年7月、中国を抜いて人口が世界一位になったインド。
今インドは、アメリカや中国と肩を並べる第3国として世界から注目を集めている。
IMF(国際通貨基金)が2023年7月に発表した「世界経済見通し」における最新成長率予測では、インドの2022年の成長率は7.2%と、主要先進国・新興国の中でもトップクラスの発展を遂げた。
そんなインドが急速な経済成長を遂げている背景には、国民の9割以上が登録している「アドハー」と呼ばれる12桁の個人識別番号システムの存在がある。
本記事ではインドが生体認証システムをどのように経済発展に活用してきたのか経緯を説明していく。
【目次】
インドの生体認証システム「アドハー」
インドが急速な経済成長を遂げた背景には、「インド版マイナンバーカード」と呼ばれ2009年からインド政府が導入した、個人IDシステム「Aadhaar(アドハー)」の存在が深く関係している。
国民は名前や住所などの個人情報の他に、顔や指紋、目の虹彩などの生体情報を登録し、政府は12桁からなる個人IDを発行。
個人IDの登録を行った国民は役所などの公共機関や、銀行の口座開設で本人確認として使用できる。
これにより買い物や公共機関の取引時に、指や目の虹彩をスキャンするだけで瞬時に身元確認を行い決済ができるようになった。
この手軽さと効率性が消費を刺激し、インドの経済活動を活発化させた要因となっている。
国民IDの導入で低所得者層への中間搾取が激減
アドハーが提案された2000年当時、インドでは低所得者向けの経済支援金や配給が不正受給される問題を抱えていた。
原因は低所得者層の個人識別制度が存在しなかったからだ。
農村地区の住民は出生届けを出さない人が多く、本人確認ができないため銀行口座を所持することもできなかった。
インドでは出生証明書を持っている人は全国民の半分以下であり、納税している人はもっと少なく、運転免許を持っている人はさらに少なかった。
このような背景から政府の支援金は、銀行口座の振込ができず現金を本人に直接渡すしか方法がなかったのだ。
しかし出生届けがないため、本人を特定できず中間搾取が横行していた。その対策のため、インド政府は2010年に個人識別番号制度を導入。低所得者層の本人確認が確立し、不正受給が大幅に減少した。
民間企業と連携し経済活動を促進
アドハーは個人IDと銀行口座を紐づけることで、オンラインで決済を済ませることができる。
インド政府はこのシステムを民間企業に解放し、企業は自社で決済システムを開発することなく、オンラインの取引やサービスを提供することができるようになった。
2016年にインド政府は高額紙幣の廃止を宣言し、それにともないアドハーと連携したキャッシュレス決済の需要が伸び、利用者が拡大した。
インド最大の決済サービス事業者であるPaytmも、アドハーの導入によって事業を急拡大させたフィンテック企業の一つだ。
国民は指紋やスマートフォンのQR決済を通して買い物や行政の手続きを行っている。
このように政府主導による官民一体となったシステムを土台に、インドの経済活動は大きく変化を遂げた。
※余談だがQR決済を日本に普及させた「PayPay」は、Paytmを日本向けにローカライズしたサービスでありPayPayへの技術提供を行なっている他、株式も所有している。
海外に輸出される個人IDシステム
インド政府はアドハーのシステムを、アフリカやアジアなどの途上国や新興国を中心としたグローバル・サウスで導入に向けた交渉が行われている。
一例として東南アジアのフィリピンでは、国民IDの導入を決定し個人認証システムの整備を整えている。
フィリピンは地震などの災害が多い国であるため、個人IDの導入を行い経済復興や支援活動を迅速に行うことを目的に導入を進める狙いだ。
インドが自国のデジタルインフラを無料で提供する狙いは、アメリカや中国を抜いて世界のリーダー国になることを目指しているからだと考えられる。
PwCの調査レポートでは、インドは2050年までに米国を抜き、世界第2位の経済大国になると予想されている(※購買力平価=PPPベースのGDP予測)。
こうした経済成長への期待からインドが世界に影響力を与える上で、途上国への支援はインド支持につながるのだ。
懸念されるプライバシーの問題
インド政府が進めてきたデジタル政策は、経済発展や国内のデジタルインフラを大きく発展させたことに間違いない。
しかし、政府が国民の個人情報を安全に管理し、プライバシーを侵害することがないか疑問の声が上がっていることも無視できない。
インドの憲法ではプライバシー権が明文化されておらず、国家による監視システムになる可能性があると懸念する人々もいる。
インド政府はこれまでプライバシーに対する権利は憲法上ないとする立場をとってきたが、インド最高裁判所は2017年にプライバシー権は憲法で保障される権利だと認める判断を下した。
一方で、2023年現在では本人同意があれば民間企業まで登録内容を活用してもよいとする法改正を行なっている。
政府が国民の個人情報を過度に収集することは世界各国で議論されているが、インドも同様にプライバシーの問題が引き続き議論されると考えられる。
まとめ
インドは19世紀からおよそ100年にわたり、イギリスの植民地支配を受け、搾取されてきた歴史を持つ。
国民IDシステム「アドハー」の導入は、アメリカを筆頭とした巨大IT企業によってデジタル空間上でも同じような植民地支配が起きかねない、という危機感から開発が急がれたという経緯がある。
国民の個人情報を個人IDに紐づけて、本人確認の書類を必要とせずデジタル上で行政手続きができるインドは、マイナンバーカードの普及が遅れている日本と技術的な面ではるか先を行っていると言わざるをえない。
しかし個人情報を個人が管理するべきだ、という主張も世界で広まりつつある。
最近ではOpenAIのCEOであるSam Altman氏が「WorldCoinトークン」を発表した。
「WorldCoinトークン」は使用する際に、人間であることを証明するために虹彩を登録する必要があり、個人情報の収集に関して話題となった。
インターネットが誕生し、スマートフォンが普及した現代において、個人情報を企業や国家にどの程度まで渡すべきか。本記事で紹介したインドの事例をもとに考えるキッカケとなれば幸いだ。
<参考文献>
『第三の大国-インドの思考-激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』笠井 亮平著(文春新書)
https://www.dlri.co.jp/pdf/ld/2019/wt1908.pdf
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230712/k10014126281000.html
https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2018/07/27a/
https://www.afpbb.com/articles/-/3140401
https://www.pwc.com/jp/ja/press-room/world-in-2050-170213.html
https://www.imf.org/ja/Publications/WEO/Issues/2023/07/10/world-economic-outlook-update-july-2023
(文:きたがわ)
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